悪性リンパ腫は血液のがんの一種です。
発見が遅くなると最悪の場合は死に至る可能性も。
日本を代表する俳優の高倉健さんは、悪性リンパ腫のため2014年に亡くなられています。
この記事では悪性リンパ腫になった芸能人や有名人について調査しました。
悪性リンパ腫とは血液のがん
悪性リンパ腫とは血液のがんで、ウイルスから体を守っているリンパ球ががん化した病気と言われています。
悪性リンパ腫は「血液の悪性腫瘍」で、がんの仲間の一つです。細菌やウイルスから体を守る働きをしている白血球のうち、リンパ球というタイプの血球ががん化(悪性化)して増殖し、リンパ節などにしこりを作る病気です。体のさまざまな部位に生じる可能性があります。
引用:oshiete-gan.jp
リンパ球やリンパ節についてくわしくはコチラ
リンパ球:全身に約500個あるリンパ組織をめぐりながら、病原体や異物の侵入に備えています
リンパ組織には、骨髄・胸腺・リンパ節・扁桃腺・ひ臓などがあります。
リンパ節:体全体のいろいろなところにあり、免疫の中心となるリンパ球が集まっています
リンパ節の領域には、頸部や鼠径部などがあります。
悪性リンパ腫の4つのステージはコチラ
- ステージ1→1つのリンパ節領域、またはリンパ組織に病変がとどまっている
- ステージ2→2つ以上のリンパ節領域、またはリンパ組織に病変がある
- ステージ3→横隔膜の両側に及ぶリンパ節領域、またはリンパ組織に病変がある
- ステージ4→リンパ節以外の臓器への浸潤(骨髄・肝臓など)
悪性リンパ腫は日本人の1万人に1人がなると言われれており、患者数は年々増えているそう。
初期の症状では痛みのないしこりが首や脇の下などにあらわれます。
しこりに痛みが出てくるとかなり進行した状態で、体重の減少やひどい寝汗など、全身にさまざまな症状が。
悪性リンパ腫は、最悪の場合は死の可能性もありますが、適切な治療で治る病気であると言われています。
悪性リンパ腫になった男性芸能人や有名人はこちら

悪性リンパ腫になった男性芸能人や有名人はこちらです。
- 原口一博(ステージ2)
- 夢枕獏(ステージ3)
- 室伏広治
- 真造圭伍(ステージ1)
- 笠井信輔(ステージ4)
- 都啓一(ステージ4)
現在の様子もあわせて順番にご紹介していきます。
1.原口一博(ステージ2)

衆院議員の原口一博さんは、2023年4月(64歳)に悪性リンパ腫で闘病中であることを公表。
2022年12月から喉と目に違和感があり、状態は悪くなる一方だったので、2023年1月に検査を受けることに。
扁桃腺が腫れているとだけ診断されますが、後にステージ2の悪性リンパ腫であることが判明。
扁桃腺の切除手術や抗がん剤治療をされ、闘病生活をしながらも政治活動を続けられていました。
2023年7月には寛解の診断を受け、治療は一区切りを迎えたようです。
2.夢枕獏(ステージ3)

小説「陰陽師」で有名な作家の夢枕獏さんは、2021年3月70歳のときにステージ3の悪性リンパ腫に。
小説の連載や講演なども中断し、約6ヶ月もの間抗がん剤治療を続け、体重は10キロ以上も減ったそう。
治療のおかげで2021年10月には寛解しますが、今度は抗がん剤の副作用で心不全に。
5年生存率は約6割であると医師から告げられます。
その後は闘病しながらも執筆を続け、作品の講演をされるまでに回復中です。
3:室伏広治

アテネ五輪ハンマー投げの金メダリストで、スポーツ庁の長官として活躍する室伏広治さん。
2020年秋に歩行が乱れるなどの異変があり、検査を受けたところ、脳に腫瘍があることが発覚。
開頭手術の結果、悪性リンパ腫と診断されました。
抗がん剤での治療の他、2021年4月には自身の骨髄の細胞を移植する自家末梢血幹細胞移植も行ったようです。
上手くいけば再発率は0%とも言われており、続報もない事から順調に回復されていると考えられます。
4:真造圭伍(ステージ1)

漫画家の真造圭伍さんは、2020年4月33歳のとき、悪性リンパ腫の治療で漫画の連載を中断されていました。

左耳の下にしこりが2年ほどあったのが気になり、最初は耳鼻科で診てもらうも原因が分からず。
大学病院で検査をしたところ、9割が良性の腫瘍と診断されてすぐに取る手術を受けます。
しかし、手術後にステージ1の悪性リンパ腫であると判明し、抗がん剤治療をすることに。
2020年11月には無事に寛解され、その後は健康に気をつけながら活動を続けられています。
5:笠井信輔(ステージ4)

フリーアナウンサーの笠井信輔さんは、2019年12月に56歳で悪性リンパ腫を発症しています。
2019年9月にテレビ局を退社し、フリーになった2ヶ月後にステージ4の悪性リンパ腫が判明。
体重の減り具合や重い荷物を持ったときの腰痛が気になり、検査を受けたのだとか。
深刻な状態から抗がん剤治療を続け、ブログでもその闘病生活を発信。

2020年5月には寛解し、退院後は再発もなく仕事にも復帰して、意欲的に活動中です。
6:都啓一(ステージ4)

ロックバンド「ソフィア」のキーボード担当の都啓一さんは、2010年2月38歳のときに悪性リンパ腫に。
悪性リンパ腫が分かったのは、全国ツアー前に軽い気持ちで受けた健康診断がきっかけでした。
膝の付け根にできたしこりが気になっていて、診断のときに医者に相談したところ、エコー検査をすることに。
検査でステージ4の悪性リンパ腫が判明し、体のあちこちにがんがあるので治らないと医師から告げられます。
しかし、懸命な抗がん剤治療により2010年11月には驚くことに全快し、2011年8月のコンサートで復帰されました。

2022年のインタビューでは「今でも2カ月に1回行って検査を受けています」と明かしています。
悪性リンパ腫の女性芸能人や有名人はこちら

悪性リンパ腫になった女性芸能人や有名人についてもご紹介します。
- 一龍斎貞弥(ステージ4)
- 安本彩花(ステージ3〜4)
- 渡利璃穏(ステージ?)
- 大谷直子(ステージ4)
- 愛華みれ(ステージ2〜3)
1.一龍斎貞弥(ステージ4)

講談師の一龍斎貞弥さんは、2020年11月55歳のときにひどい腹痛に襲われ、受診すると悪性リンパ腫が発覚。
腹部に多数のリンパ腫があり、ステージ4と深刻な状態でした。
手術で1ヶ月半ほど入院し、2021年1月には退院されて抗がん剤による通院の治療となります。
2021年7月にはがんが体から消えて完全寛解し、2021年8月からは無事に舞台へ復帰。
2022年9月には真打に昇進するほど回復されています。
2.安本彩花(ステージ3〜4)

アイドルグループ「私立恵比寿中学(エビ中)」の安本彩花さんは、2020年10月に22歳で悪性リンパ腫が発覚。
ライブのリハーサル中に脇が腫れている異変に気づき、病院に何度か通い検査した中で判明しました。
左脇から発生した悪性リンパ腫はひ臓や皮膚まで広がり、ステージ3〜4と深刻な状態に。
入院して抗がん剤治療を続けられ、退院できた後は復帰を目指して自宅療養をされます。
2021年4月には無事に寛解し、2021年7月には復帰、8月のライブにも出演されています。

3.渡利璃穏(わたりりお)

レスリング女子でリオ五輪日本代表の渡利璃穏さんは、2016年9月の25歳のときに悪性リンパ腫を公表。
リオ五輪前の2016年7月の検査で胸に腫瘍が見つかり、8月の五輪が終わった後に病名が分かったのだとか。
ステージ数は不明ですが初期の発見だったため、抗がん剤治療の後は無事に復帰されて世界選手権の代表に。
病気を克服し東京五輪を目指しますが、徐々に体力の調整が難しくなり、2019年で現役を引退されています。
その後はセカンドキャリアとして、会社でデスクワークの日々を過ごされているようです。
4.愛華みれ(ステージ2〜3)

元宝塚歌劇団で女優の”愛華みれ”さんは、2008年2月44歳で首のしこりが見つかり悪性リンパ腫と診断されます。
ステージ数は2〜3で、舞台をすぐに降板するよう医師に告げられ予断を許さない状況でした。
抗がん剤や放射線で治療をし、うつ病や副作用に苦しみながらも闘病生活を経て2008年8月には舞台に復帰。

治療中に舞台の出演依頼を受けたら、ぐんぐん回復しました。精神力はよく効くひとつの薬。
2009年1月には闘病を支えてくれたという婚約者とも入籍。


定期検診を続けながら6年後には寛解されました。
5.大谷直子(ステージ4)


女優の大谷直子さんは、突然の背骨の激痛により検査を受けたところ、2007年に57歳で悪性リンパ腫が判明。
背骨の圧迫骨折にリンパ節の肥大とステージ4の深刻な状態で、余命3ヶ月と診断されます。
新薬の抗がん剤と点滴による治療をされ、体重は33キロにまで減り、つらい闘病生活を送られていました。
1ヶ月入院した後は3週間おきに点滴治療を受け続け、発症から半年経った頃には無事に治療を終了。


4年後には映画『希望の国』(2012年)で復帰し、その後も断続的にドラマなどにも出演されています。
まとめ
悪性リンパ腫の芸能人について調査しました。
悪性リンパ腫は最悪の場合亡くなる可能性もある恐ろしい病気です。
初期症状で多い首や脇などのしこりや異変を感じたら、放っておかずすぐに検査を受けるのが良いですね。
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